⎯最初の連絡から数ヶ月後、
あいみは、“カナ“ではなく、”あいみ”の姿を見せてくれた。
約束をした待ち合わせ場所に、あいみはなかなか辿り着くことができず、電話でやりとりをし、ようやくあいみの居るところまで私たちが辿り着けた。
どうしたらこんなところに迷い込めるの?
と思うほど、よく分からない道の、よく分からないビルの隙間にぴったり、ひっそり佇んでいた。
あきらかに少しそっぽを向き、目を合わせない。
微かに頷くか、たまに小さな声で短い言葉だけを話す。そんなあいみは妹のことを心配し、
行かなきゃ、と妹の元へと向かった。
『連絡したかったんだけど
いろいろあってやっとメールできた…
家帰ったけど
やっぱり家にいると消えたくなる疲れる
親はあいみがどこでなにしてても心配してこなかったし、なにも聞いてこなかったんだよね
ほんとにどうでもいい存在なんだって改めて思った
いてもいなくても同じなんだって。
そんなことわかってたはずなのに。
ママにとってあいみはどううつってるんだろう
あいみは見えてるのかな
死ねばいいとか言われても、
どんなに嫌なことされても、
まだあいみは生きてるよ
だめかな…?』
『メイドリフレの人から不在着信めっちゃ入っててもううざくて既読つけてなかったLINEも全部見たんだけど働いてくれるよね?とかすごくて
めんどくさいからこっちから電話して、あいみ働くことにした。
その前に実技講習てきなのやるっぽくてその人のまえで制服に着替えたり一緒に寝たりするんだけど
それをやるのがお店でできないからラブホらしんだけど、交通費先に払うから来てって言われたから』
『ママの彼氏の家にお前の住民票移しといたからって言われて、あいみその人会ったことなくてまだ1回もその家帰ってなくて
もうママに従うのにも限界がある
突然知らない人んち住むとかむりなのに
このまま消えたいもうむり』
『電話したかったんだけど、時間過ぎちゃった
今ねママの彼氏んちいる
初めて家入って初めて会ったけどその人想像してた通りってかんじでめっちゃ怖いしいかついしなにも話せない』
『とにかくすごい気まずいし
あいみこの家暮らせない
今必要なものだけまとめてるんだけど、
出てくのに今めっちゃ土砂降りで無理だし
泊めてくれる人から連絡待ちで、
今日はこの家で我慢するけど
この家戻んないつもりででてく
もう帰る場所ないどこにも
涙止まんない』
児童相談所にも繋がることができたが、あいみが18歳になり、児童福祉法での支援も終了となった。
その後、bondの元で数年間、
体調と生活を整えていくために過ごした。
私たちに対する反抗期もあった。帰ってこなかったり、危うい行動を繰り返したり、いつも辛さと寂しさのぽっかりあいた穴の埋め先を探していた。
あいみも一生懸命想いをぶつけてくれ、私たちも一生懸命想うことを伝えた。言ってほしくないことも、そうしてほしくないこともあったと思う。それが当時の本人にとって言われたくない言葉であっても、これからも関係性を続けていきたいからこそ伝えていた。
あいみは26歳になった。結婚して子どもがいる。
一生懸命母親をしながら、
今でも「死にたい」気持ちとも闘っている。
限界に達しないとなかなか連絡もこないけれど、限界に達しすぎて連絡する気力がないときもある。
いろんな事を考えすぎて、「やっぱりいい」となったり、来る余力が残っているから来るときもあれば、余力がないから来ることもある。
誰にも話しかけられたくなさそうに、少しそっぽを向いて、ぽつんと一人の空間を創る。
でも時に話したいし頼りたい。
そんなあいみを、見守っている。
『明日になって、やっぱり行こうと思ったら行くね
なんかもう面倒くさい人でごめん』
「あいみの性格?は
今に始まったことじゃないから笑、
大丈夫だよ!
めんどくさくて大丈夫だよ
そんなことみんな大丈夫だから、でも自分が余計にしんどくなるなら、んーだけど、
よかったら気にせずおいで!」
『なんかちょっとげんきでた
うん、ありがとう』
私たちには、「あいみ」として、ちゃんと見えてはいるんだよ。
パートナーとしての居場所、母親としての居場所、それもあいみの大事な居場所。
でも、それだけではいられないときだってある。
あいみはあいみでいいと思うけれど、
きっと自分で考えれば考えるほど、苦しくなって分からなくもなる。
生きていくために、生活していくために、いろんなことが必要になる。
その時々で、みんな在処を見つけて過ごしていく。
そんなに難しく考えないでほしいけど、でも難しいことだよね。
一人でというわけではなく、
頼りながら一緒に「あいみ」の在処に、
そっと居られるといいな。
2024.5/1 竹下奈都子=取材・文 / interview & text by Natsuko Takeshita
NPO法人BONDプロジェクト事務局長。横浜国立大学経営学部中退。在学時に、NPO法人BONDプロジェクト設立前のVOICESマガジンの活動に出会い、若年女性の居場所や支援活動の必要性を感じ、2009年NPO設立時より活動に携わる。業務全般を行っている。
KEN=写真 /photography by KEN
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