2024-06-01

居場所を求め続けて

“私みたいな子の居場所はどこにあるの?
どこにも当てはまらない人はどうしてるの?“

2024.6/1 水野ちひろ=取材・文 / interview & text by Chihiro Mizuno
KEN=写真 /photography by KEN 
※写真はイメージです。本文の内容とは関係ありません。 photo is an image. They are not related to the content of the text.

15歳で初めて連絡をくれたねねは、
よく近くの河川敷で過ごしていた。
母親との関係に悩み、家にいるのがしんどくなると
「家出してる」と連絡が来た。

何を言われても耐えられるようにと、市販薬を大量に飲んでいることも多く、フラフラしたそのままの状態で、夜でも冬でも河川敷に行っているようだった。
そうした状況から、児童相談所や地域の支援者との繋がりも多かった。

ねねの中には孤独感がある。
強く、根深く、どうにかしようと思っても八方塞がりになってしまうような孤独。どんどん強くなる希死念慮。
それによって周りを振り回してしまい、
何よりねね自身が振り回されていた。

“パパ活はSNSのおじさんと。
優しそうな人を選んで、30人くらいと会った。
車に押し込まれそうになって、力を振り絞って逃げたこともあった。殺人事件に巻き込まれてしまった女子大生のニュースを聞いた時は、自分だったかもしれないとも思って怖かった。
やりたくはないけれど、「かわいい」「好き」って抱きしめてくれるから必要としてもらえてる感じがするし、やめてしまったら寂しくて死んじゃうんじゃないかと思う“

その寂しさは母親との関係に起因するところもあった。
ねねはいつも母親の話をしている。
ひどいことをされたと訴えることも多かったが、
その向こう側には常に母親を求める気持ちがあり、
大好きな母親に
「この気持ちを受け止めて!私のことを見て!」
と言っているようにも感じられた。

“ママのトラウマが消えません。
一緒に死のうと言われて包丁を出された時のこと。
思い出した時は
頭がパニックでODしないと無理です。
その事を勇気を出してママに言ったら「覚えてない、今さら何?」って言われました。
覚えてないんだって思って
余計につらくなりました。
もうなんかどうでもいいや。人生終わらせたい。

でも、bondのみんなとはお別れしたくないの。
わがままだよね。
会いたいよ、会えるなら生きたい。”

「ママから離れたいのに離れられなくて苦しい、
いろんなことがもう無理」
と感情が溢れ出した様子で電話がかかってきたこともあった。

ビルの屋上や電車のホームに立ち、今すぐにでも飛び込めるようなギリギリのラインから連絡が来ると、なんとかなだめ、ビルや駅から離れた安全なところに移動できるまで電話を繋いだ。
寂しさに押し潰され、
寂しさを埋めるために必死で、
自分を見てもらうために大変な状況を作り出してしまっているのではないかと心配になることもあった。

「今ホテルにいて、
男の人に心中しよって言われてる」

ある時ねねから届いたメッセージ。
送ってくれる画像や情報からホテルの場所や部屋が特定でき、危険な状況から守るためにスタッフが警察に通報した。
でもそのホテルに警察が出向くと、
彼女はいなかった。
そんな男もいなかった。
そもそも入室してもいなかった。

寂しくて、寂しくて。
自分を見てほしくて。
どれだけ話しても、どれだけ人と過ごしても、
つらい寂しさが埋まることがない。
私には、ねねがいつも傷だらけに見えた。

血まみれの腕の写真が届くこともあれば、パパ活の男に殴られたと連絡が来たこともあった。痣の写真も添付され、「1万円稼ぐのがどれだけ大変なことかわかってるのか」と説教してくる男で、本当に気持ち悪かったと話していた。
その男がしたことは到底許せるものではないが、ねねにもこうした人と関わらないで過ごせるようになってほしかった。

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