2024-03-04

消せない記憶

“無理してでも頑張るってこと、忘れちゃったのかな私“

2024.3/4 森田 あすか=取材・文 / interview & text by Asuka Morita
橘ジュン=校正 / Content Editor by Jun Tachibana KEN=写真 /photography by KEN 
※写真はイメージです。本文の内容とは関係ありません。 photo is an image. They are not related to the content of the text.

「お父さんとの二人暮らしがうまくいきません」

初めて相談があったのは7年前。
彼女は大学生だった。
暴言を吐かれたり、暴力を振るわれながらの暮らしがつらいことを、
「うまくいかない」と表現していた。

うまくいかないのは暴言吐いたり暴力振るってくる父親に原因があるのに、
まるで自分がきちんとできていないというような伝え方だった。
でも、今思えば大変な状況をどこまで私に話していいのか、様子を伺っていたんだろう。
大人を信じることが怖かったのかも知れない。
それでも少しずつ話してくれることが増えてきて、
会って話を聞かせてもらえるようになるまで1年かかっただろうか。

苦しい気持ちを誰かに聞いてほしくても、
言葉に出すのもしんどいこと、怖いこと、話すには勇気がいる。

もしかして自分の親は他の家の親と違うのかも、と感じるまでに時間がかかり、
そのことに気づいてからも思いを言葉にするのに時間がかかる。

やっと話そうと思える段階に辿り着いても、親は悪くないと言い聞かせる。親が悪いと思う自分が嫌になるから。自分を責めるしかない。
ずっと一緒に生活してきた親のことを突然、人から「あなたにしていることは虐待だよ」と、言われても受け止めきれないんじゃないかとも思って、私はじっと待っていた。

怖いし、暴力を受けるのは嫌だから家にはいたくない、と彼女は何度も家出を繰り返したが、
家出先も安全な場所ではなかった。
朝まで外で過ごしたり、必要とされたくてSNS上で繋がった人に会いに行ってしまった。

友達の家やバイト先の人と一緒に過ごせることがあっても、
違法薬物を使用している人がいる場所だったり、性暴力被害を受けていた。
どんどん自暴自棄になってしまっているようだった。

そのうちに、父親からの暴力を受けて彼女にあざができ、実習先の福祉施設で事情を聞かれて、本人の状況を察してくれた所がシェルターに繋がり保護されたと教えてくれた。
それを聞いて私はほっとしたけれど、彼女にとって、新しい生活を始めることはとても大変なことだったはずだ。

保護をされるということは、
今まで過ごしてきた環境を変えるということ。
自由に外出できないから学校には行けない、友達にも会えなくなる。学校に行けるようになっても事情を聞かれてどう答えていいかわからない。携帯も持てない。
他のシェルター入居者との共同生活になる。
何より、私が普段している毎日の挨拶や、食事が出てくること、シェルターで出会う職員の優しさに触れること、
暴力のない安全な暮らしに戸惑っていた。

自分と親との暮らしを、自分自身のことを、言葉にできずにいたのだから当たり前だろう。
どう言葉にしたらいいのか悩みながらだんだんと話せるようになっても、父親が自分にしてきたことに対してどう受け止めたらいいのかもわからなくて苦しんでいた。

「お父さんを嫌いになりたいのになれない。家族だし、嫌いになるのがつらい。
自分を責めてる方がまだマシ」
そんな自分が嫌で罰を与えるように、思い出したかのように、自傷行為を繰り返していた。
家にいた時はこうやってやり過ごしてきたのだろう。でも「嫌いになりたい」と思えたことは大きな一歩だ。
実際に嫌いにならなくても「怖かった」「嫌だった」を受け止め始めたんだろうと思えたからだ。

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