2025-02-01

私はお父さんを知らない

“なんか私だけ父親から置いていかれたって思うから。
なんでなんだろうって、考えちゃうな。”

2025.2/1 橘ジュン=取材・文 / interview & text by Jun Tachibana
KEN=写真 /photography by KEN 
※写真はイメージです。本文の内容とは関係ありません。 photo is an image. They are not related to the content of the text.

モカは生まれた時から母親とアパートで2人暮らし。
父親の顔は知らない。
会ったことも、声を聞いたこともないまま19年間過ごしている。
兄と姉もいるようだが、母親に聞いた話だと、
縁を切ったらしい。
ずいぶん前に、ランドセルを背負ってる女の子の写真が家の中に1枚だけあったので、たぶんその子が姉なんだろう。


親族との交流もなく、孤立した環境の下、母子家庭で育った。
母親は働いてはいたが、収入が少なく家庭は貧かった。支払いも滞り、ライフラインである電気、ガス、水道が度々止められた。
洋服は買ってもらえず、2.3着しかない服や靴下を着回し、穴が開いて縫っても着られなくなるまで着回した。
お金が無いとの理由で、
小学生の頃は修学旅行にも行けなかった。
中学2年生の頃、母親が階段から落ちて首を骨折してしまい、
働けなくなって生活保護を受けることになった。
それまで生活に必要な収入や物資が少なくて、経済的に苦しい暮らしが続いていたが、保護費が入ってくるようになって、ようやく貧困状況から救われた。

「小学生の頃から家にはお金がないからって進学を諦めていた。高校にはどうせ行けないと思っていたし、それなら早く死にたいなって思っていた。世間的に高校行かなかったら、将来困ることになるって思ったし、中学に上がる前までに死ななきゃって。
自殺未遂もしたけど、死ねなかったから、中学に上がってからは卒業するまでには死のうって思った。
生きてても苦しいし、どうせ死ぬんだしいいやって考えを持つことで逃げて、生きてきたんだと思う」

小学3年の時、
同級生と放課後クラブの先生からのイジメを受けた。
「バカがいる」と、指を指されたり、物を返してもらえなかったり、先生からは、自分だけ遊びの時間に誘ってもらえず1人だけ教室に残されたりもした。
つらくて、学校の校舎から飛び降りようした。
モカの行動を見つけた先生が、止めてくれて、話を聞いてくれて、気持ちが落ち着いた。

「その時、どこにも居場所がなかった。
先生、友達、親の事で悩んでいて、生きてる意味ないんじゃないかって思ったら、なんかすごく苦しくて死にたくなって飛び降りようとしちゃった。
しんどいんだよ、助けてほしいって気持ちを誰かに気づいてもらいたかったからなのかも」

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