もう一つ変わったことといえば、
トー横やグリ下といった繁華街で集まる少年少女たちの存在が知名度を得たこと。
わたしが関わっていた頃はまだまだ世間的には知られていなくて、なんとか声をかけたいと思って対策を考えていた。
それが今や、ちょっとしたゴシップネタ、遠目から眺めて笑い者にするための素材、
そんな扱いを受けるまでに一般化してしまった。
元々ネット上には生きづらい少年少女を揶揄する風潮がないわけではなかった。
だからこそ、彼女たちはネットに書き込むときはゾーニングをして、できるだけ攻撃的な人々の目に触れないようにしていたのだ。
しかし、トー横、グリ下へ好奇の目が向けられるようになってからは、むしろそうした攻撃的な人々がわざわざ掘り返しにいく様子まで見受けられる。
ただ物珍しくて滑稽だと言わんばかりに。
こうした現状は、今繁華街に集まっている少女たち、そしてそれ以外の生きづらい少女たち、
みんなの居場所を狭めているような気がしてならない。
そして今、一番辛いのは、こうした憤りを感じても自分が何もできないということだ。もし辛そうな人を見かけても、わたしは声をかけられる立場にないということ。
ネットパトロールとしてやっていた時は、bondの代表者として堂々と声をかけることができた。でも今は、たまたまネットで見かけた辛そうなどこかの誰かに、声をかけることはできない。
「大丈夫?」くらいは言えるかもしれないけど、
それ以上の介入は絶対にできないししちゃいけないと思う。そうしてしまったら、
わたしも座間事件の犯人のようになってしまう。
悪意のあるなしに関わらず、人ひとりの人生を、
誰かもう1人が個人的に手助けするというのは、
きっと難しい。
そのために行政があり、サポートする場所がある。
だから、ネットに漂う苦しみの声を見かけても何もできないことがもどかしくなることがある。
死にたいほど辛いときはそれしか言葉が湧いてこないことを、わたしは知っている。
苦しくて苦しくて、ここにいたくなくて、たとえ手を伸ばした先にさらなる苦しみが待っていたとしてもすがりたくなる。
だって、ここにいたら自分が死んでしまうから。
死ぬか、逃げ出すか、しかない。
そんな状態の少女たちを笑い、一種のエンターテイメントにしてしまうのが、ネットなのだ。
悔しい。苦しい。
でも、戦わないといけない。
ネットは広い。使い方次第で毒にも薬にもなる。
わたしは、ネットで友だちを作ったこともあるし、ネットに良い思い出もたくさんある。
学校の悩みを吐露できたし、趣味の話で盛り上がれた。とても楽しい時間だった。
でも一方で、仲良くなった年上の男性から被害を受けたこともあるし、見知らぬ人から恐ろしい言葉を投げかけられたこともある。
ネットというのは、そういう、いつでも傷つき得る世界なのだ。
特に、今の時代はネットの使い方を気を付ければどうにかなる時代ではなくなってきたのではないかと思う。誰でもSNSをやっていて、しかも自分の意思に反して拡散されるようにシステム自体が構成されているのだ。
もう自分の力だけではコントロールが効かない。
だからこそ、困った時の相談先の手札を、
たくさん持っていて欲しい。
ネットでは、誰とでも繋がれる代わりに、どこに繋がるか自分の力で選びづらい。
誰か1人でも、手を伸ばす先が、
わたしたちでなくてもいいから安全な場所でありますように。
感謝されなくて良い。無視されても良い。
ただ、どうしたら傷がこれ以上増えないか、
傷つく回数を減らせるか、
それを考える手助けになれたら。それだけを願っている。
文 = 白石 みのり/ Minori Shiraishi
東京都出身。都内の大学院に在学中。2010年ごろよりSNSを始め、その経験から18歳でbondのネットパトロール活動に参加する。現在はメディアとヘイトをテーマに研究活動を行なっている。
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