
そこから父親はたびたび実家に帰ってくるようになり、性虐待が再開した。
何も変わっていない父親と、何も変わっていない自分自身に絶望して、
親を憎むことができれば楽なのに、
「逃げられない自分が悪い」と思えば思うほどに、身動きがとれなくなっていった。
暴力はない、と彼女は言うけれど
抵抗をすると怒鳴られ、押さえつけられ、腕にアザができる。それは当たり前すぎて「暴力」のうちに入っていない。
タバコを押し付けられ、火傷をし、
おまえはおれにさからえないんだ と
呪いのようないろんな言葉や態度を次から次に投げかけられる。
抵抗しては、呪いをかけられ、意思をくじかれ
逃げてみては、捕えられ、希望を消され
逆らってみては、育てた恩を忘れたのかと罪悪感を植え付けられ
そして彼女は、「意思を持つから苦しいのだ」と、
子どもの頃からやってきたように夢も希望もなくしてしまえば、家の外では何事もなかったかのように生きられるのではないかと、気持ちの振り子を真逆に振り切ろうとする。
もういいや
子供さえ育ってくれたらそれで私はいい
私が大人しく親の言いなりになっておけばいいだけなんだよなあって
どうにか静かにしてもらうためにあってしまったり
要求に応えてしまって結局疲弊して
結局私は父から離れられないよ
拒否をしたところでそれが拒否にならなかったから
安全な方法をとるしかないなあと
だからそこに対しての感情を出すよりも義務と思った方が
自分の折り合いをつけるにはいいかなというか義務だね
もういつからか親を守りたいみたいな感情は今もうないよ
親が死ぬまで私の人権はなくていい
要求に応えてれば静かになるからそれでいいって思っちゃう
後は本当に勝手だけど
会えばフラッシュバックは落ち着いて
新たな傷は作ってるかもしれないけど
記憶に殺されそうになる辛さは軽減される
そうして彼女は
気持ちを持たなければ、
気持ちが掻き乱されることなく生きられるのではないかと、
ことを荒立てないように、痛くないように。
子どもが巻き込まれないように、子どもに悟られないように。今日もご飯を準備できるように、明日も仕事に行けるように。嵐が長引かないことだけを考えて、親に逆らうことを手放す。
機嫌を損ねなければ、平和に過ごせると。
けれどそんないびつな平穏は、
よりおおきな歪みを生む。
彼女は父の子を妊娠し、中絶し、
また妊娠し、中絶し、
5回、子どもをおろした。
ピルとか、体を守るために妊娠しないようにできないかな、と伝えたら、
まるで準備して、されるのを待っているみたいで、
そういうわけじゃないから、できなかった、
と、悲しそうな顔をした。
たびたび、親と距離をとろうとしたけれど、
そのたび、親は、動画を送りつけてきたり、
職場に連絡をしてきたり、
彼女が耐えられなくなるまで揺さぶりをかけた。
家を出たらと勧めても、かたくななまでに希望を持とうとしなかった彼女は、ある日突然、友人らの勧めにのって勢いに任せて自分で家を借り、子どもと二人暮らしを始めた。
「今まで何かを選ぶのも買うのも、親が反対するとできなかったから、自分で自分の好きなものを選んで買えるって、なかったんだ。気に入った絵があって、はじめて絵を買ったよ。飾ろうと思って」
と、うれしそうに微笑みながら絵を見せてくれた。
「自分がどうしたいのか、わからない」
「私には自分の意思や考えがない」
と、いつも彼女は言うけれど、
意思も考えも押し込められてきただけで、
力強くある、と、明るい絵を見ながら思う。
家を出た今も、親の執着は終わらず、親に逆らうことは難しい。
精神はおおきく揺らぎ、彼女は仕事を続けることができなくなった。
親に逆らうことができない自分を嫌悪しながら、
親に従うたびに絶望を重ねながら、
それでも、新しい暮らしの中で、誰かの顔色を見ずに行動できる時間を持ちながら、少しずつ少しずつ自分のつながりと世界を広げている。
父をモンスターだと言う日もあれば
父をかわいそうな人だと言う日もある。
父に決別宣言をしたかと思ったら、
父が自殺したらどうしようと心配をする日もある。
新たな傷をつけてほしくないから、
自分を犠牲にするような選択はしないでほしいと願いながら、
選んでいるようで、選べていない、
逆らえない心を思う。
いま、彼女は働けず体調の悪い日も多いけれど、母親として子どもを大切に懸命に育てている。「この子には自己肯定感を育んであげたいんだ。私がぜんぜん持てないで育ったから」と、大きな愛情を持って、子どものふとした言葉や動きに細やかに目をくばり、のびやかな笑顔を育てている。
この笑顔を育てた自分のことも、
誇らしく大切に思える日がきますようにと、私は願う。
すべてがあきらめでしかないと、
あなたは言うけれど、
それでも奥底では自分をあきらめていないあなただから、こんな笑顔を育てられるのだと思う。苦しみの底で希望をはぐくみ疲れ果てても、どうか自分をあきらめないで。
あなたの選んだ絵と、あなたの育てた笑顔は、
光に満ちている。
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記事を書いていたら
生きていくってなんでこんなにたいへんなんだろう、
と、LINEが届いた。
生きていくって
なんでこんなにたいへんなんだろう
親の言いなりの自分が大嫌いだし
周りの人の言ってることも分かってるのに
ちゃんと断れない自分も大嫌い
どんなに周りの人が親を悪く言っても
嫌いになりきれないところとか
そんな自分にがっかりする
きっとそうしないと父は生きてこれなかったんだと思う
諦めて同情して共鳴してバカみたい
いくつもの矛盾した気持ちを抱え、揺さぶられながら、自分の心の内側にはいりこんだ呪縛とたたかっている。そんな自分の両面を感じ取っているあなただから、苦しくてもきっと、その鍵をはずせる日がくると、私は信じている。
もどかしさも歯痒さも、
誰より自分が感じながら、生き方を探している。
取材・文 = 植田恵子 / keiko ueda
ドキュメンタリー映像ディレクター。近年の制作番組はがん緩和ケアをテーマにした「おら、痛いのやんたぜ」(NHKBS)、家庭内の性被害をテーマにした「言えない心のうちがわを」(日テレ「NNNドキュメント」)など当事者の声を届けることに関心がある。
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