2025-04-01

眼差しの聖杯

藤原:俺は『渋谷』を書いて『東京漂流』を書いて、”将棋が詰んだな”って思ってしまったんだ。この時代がね。それで、救いのある場面を撮りたいと思って、バリの方に行って花を撮った。それと同時期に少女を撮った。
少女は美しいもんだと思ってたわけね。
俺の中でバリの花と少女って同じだった、比重が。ある意味でエスケープだね。
バリの花はね、いくら撮っても花なんだけど、少女はね、対面すると、少女の背景が全部見えてくるでしょう。社会が見えてくる。

橘:でも撮られる瞬間は女の子も生き生きするんじゃないですか?

藤原:俺自身が救われたんだよ。
今の社会は出口がなくなっている。
少女を撮って、その子に似合う服を着てもらって、いい背景に立たせると、大体、からだが歪んでるんだ。微妙に。手の置き場所がわかんないとか。手っていうのは人間の脳と繋がってる。その手をどこに置いたらいいのかわからないというのは、深刻。
手を自然に置けるっていうのは、その人の自分の気持ちが安定していることになる。

橘:そうかもしれないですね。

藤原:そこで俺が近づいていって、指の曲がり方まで全部なおす。

橘:それはその子の背景を感じ取って、こういうふうにするといいだろうっていう?

藤原:この子はこういう指の形が一番綺麗だって形があるじゃない。
そういう形にピタッとハマると全体がシャキッとする。
目の輝きが変わってくる。
だから結局、写真ちゅうのは本来、自分を虚しくして相手を主にするものなんだけど、この時はこっちが主になっちゃうわけだ。要するに完璧にコントロールしている。
これは本来、写真ではあってはいけないんだけど、
肩の出っ張りを変えたり、顔の傾きを変えたり。もうね、これはお人形さん遊びだよ。
形が完全に整うとやっぱりその子の姿なんだね。
それまで死んだ魚の目になっていたのが、実際、本当に輝くんだ。
その瞬間に撮るわけ。そういう子たちは気持ちがビビッドだから、シャッター音が、その子たちにとってそれでOKっていうような合図になる。

橘:一瞬を捉えるってことですか?

藤原:俺はほとんど一回しかシャッター押さないから。
あ、今だなって思ってバシッと下ろした時に、その子は、その時の自分の意識と自分の体が「これがいいんだ」というふうに思うんだろう。自分の意識や姿が生まれる。

橘:いわゆる承認欲求が満たされるみたいな?

藤原:承認欲求というものではない。もう少しこう、身体的なもんだな。
この姿形、この表情、この手の置き方、この感覚がいいんだって思うわけだね。

橘:その感覚は、花とかも一緒なんですか?花とかもお撮りになるじゃないですか。花って自然に揺れてるじゃないですか。その瞬間に撮るんですか?

藤原:花に対してもそう。俺は全部一発だからね。
同じものが2つあるっていうのはおかしいのよ。

橘:私今、自分でも言いながら承認欲求っておかしいなって思ったんですけど。自分がこうやって思われたいってことが承認欲求が満たされたって感覚ですよね、だけど、藤原さんが、自分というものの良さを教えてくれて、捉えてくれてシャッターを押してくれたことで、自分の自己肯定感が生まれてくるのかな。

藤原:身体感が生まれるんだね。肯定ではないかもしれない。
ジュンさんもいろんな子と付き合ってるとわかると思うんだけど、
やっぱり身体が満たされる瞬間なんだ。

基本、写真は相手がコントロールしないといけないという考えが俺の中にある。自分が空っぽになって、見えるものを撮るというのが俺の写真の姿勢なんだ。
少女を撮る時は逆のことをやったんだ。完璧に、指の曲がり方まで指示する。そうすると輝いてくる。それも一つの写真だった。
それで、面白いことがあってさ。ミキっていう子で、中学2年だったっけ?
この子がね。当時はガラケーだったと思うんだけど、パッと見たらいつも携帯で誰かと話してる。
月の携帯代どれくらいだって聞くと、3万円っていうんだ。すごいなって思ってさ。
ミキをホウセンカズラの下で撮ったんだけどね。
3回くらい撮って、撮り終えて東京帰って、ミキに電話した後に、携帯料どのくらいなんだって聞いたら、8000円って言ってた。

橘:減っていますね。

藤原:のべつ人とつながらないと不安だった。聞いてると、ほとんど意味のない会話をしてるんだよ。その不安症が3回撮影しただけで減ってきて、その後ずっと、そのまま減った。
撮影が原因かわからないけど、撮影中に減って行ったからね。

今はさらに酷い社会になってるけど、あの当時もめちゃくちゃだった。
ある意味でもこの社会からのエスケープでもあったんだ、少女を撮るのは。
さっき俺が救われたって言ったけど。
ミキも社会の一人じゃない。一人の少女の立ち振る舞いが、俺の撮影によって変わったっていうことは、ある意味で、社会を変えることができたと思うんだ。
大風呂敷を広げて社会を変えたいっていう意識とかじゃなくて、一人の少女の立ち姿と身体を俺が変えることができた。ということは、俺はピンポイントで社会を変えた。
だからこういう一連の写真で俺が救われたよ。
おそらくそれは、ジュンさんなんかの仕事と一緒。

橘:私は元々ライターで、街で出会ってる女の子たちって、次に行ってももう会えないかもしれないって子たちだったんですね。
その子の残り香みたいなのを探してまた探しに行く、あの子ここにいたかもしれない。でも、実際行っても会えなかったり。
正直、私にとって心地良い距離感でもありました。
ある女の子との出会いで、その子は妊娠してて、その子は病院も行ってなくて父親も誰だか分からなくて、その妊婦さんを放って置けなくなっちゃったから、このボンドっていう活動に繋がっていくんですけど、今は相談を待って、受けることをやっているので、街で出会いたくて出会ってた時の頃の自分とは違う気がしています。

藤原:ジュンさんはどういうスタンスでやってるの?
女の子を待ってるの?

橘:待つ、はい。でも、パトロールしに街に出て、気になる子に声をかけて話しかけることも続けています。

藤原:待つのは良くない。
俺もこの年だけど人と会う時は、なるべく俺が出かける。
大体普通こっちに来るでしょ。出かけるといろんなものを情報があって。その目的だけじゃなく。
だからこちらが出かけていくっていうのも大切だね。待っててもその人の情報しかないから。余分な情報は、行けば見える。
その人の周辺の情報も、その人だからさ。

橘:それはすごくわかります。
見つけにいく。というスタンスはなくしたくないです。
最近はWEB版VOICESで記事を書いています。
WEBで女の子たちが書き込める場所(share your voices)を作ったんですね。その掲示板に寄せられてる声が、自然というか昔に聞いてた女の子たちの声に近くて。

藤原:紙は紙の良さがあるんだけど、ネットってのはすごいよね。

橘:相談はしてないけどここは書き込める。
相談じゃない、それはWEB掲示板のメリットだと思う。
でも街で声かける子でも、名前教えてっていうと「ナナシちゃんて呼んで」って。あなたの話聞きたいから会う約束させてってお願いすると、
「いや、あたし約束はできないから!また偶然会った時にね」って、いなくなっちゃう。
さっきまでいた街頭の子、彼女もやっぱり歌舞伎町の名前があるって言ってた。そういう子がここに来てくれるというのは、今のBONDとしては目標の一つみたいになっています。
女の子たち、居場所がないというか、帰る場所がないんですよね。
そういう子たちからの相談は多いし、もちろん街の中でも会うし。
待ってて、出会えることもある。私たちがいなかったらその子と話すことができなかったって思うと、待っててよかったなと感じることもあります。

「私を見て」と「私を見つけて」

橘:藤原さんの「渋谷」のキーワード、「おねがい、わたしをさがして」。
私は「私を見つけて」と言うタイトルで、この間書いた記事を書いたんですけれど、
この「私を見つけて」と「私を見て」って言葉の違いについて、ふと気になっているんです。

藤原:これは、同じっていうのがすごくいいと思う。
言葉の使いかたが違っても、永遠に人間が持っている感情。

橘:なるほど。私は、「私を見て」っていうのは承認欲求の表れの一部、一言だと感じます。
私を見つけてって言われると、見つけたいって思ってしまう。
その子は見つけて欲しくはないけど、見つけて欲しいみたいな。見つからないだろうなって、諦めも感じるというか。それが私にとって「見つけたい」という思いに繋がるんですよね。

藤原:眼差しの聖杯、と言う言葉があるんだ。
母親が子供を見つめる眼差し。俺の中にはあるわけよ、そういう目線が。
そういう目線で見つめられた子が、今の時代いるんだろうかと思うよね。
人が人を見つめるときの目線でも色々あるでしょ。その子を品評する目つきだとか。
だけど、母親が子に対して、愛情を持って無性の気持ちで見つめるという、眼差しの聖杯そのものがなくなってきてる。

コハルの現在

橘:コハルちゃん、過去に衝動で乾電池飲んじゃったんですよ。自分がロボットだと思っちゃったらしく。身体が動かなくなっちゃったから、「電池が切れちゃったんだ、飲まなきゃ」って。

藤原:はえー。鉄腕アトムみたいだな。どういう衝動なの?

橘:ふと、その時、その瞬間で選んでしまうんでしょうね。
でもだいぶ落ち着いて、立ち止まって考えたり、なぜそう思ったのかを話してくれるようになりました。
最近、コハルちゃんが自分の経験を人前で話す機会があって、その時に「正しい必要のされ方を知りました」って言っていて。
寂しくて、誰かに必要とされたくて、出会いを求めて、いろいろな人から、いろいろあって、自傷行為を繰り返していた頃を振り返れるようになったんでしょうね。
嫌なことも我慢することもない、こういう求められ方が、正しい必要のされ方なんだって。

藤原:そういう子から評価されるってのは結構大変なことだよね。

橘:死にたいと思ってしまっているような状況の子が、彼女の話を聞いて、思い留まってくれたり、話しをしてくれる関係になれたら嬉しいですよね。

藤原:やっぱり、死んじゃまずいんだよね。

2025.4/1 まるあかり=取材・文 / interview & text by Akari Maru
橘ジュン=校正 / Content Editor by Jun Tachibana KEN=写真 /photography by KEN 

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