幼少期、彼女はスポーツのエリート選手として育成されていたという。
かつて同じ競技の選手だった母は、クラブと学校と自宅をぐるぐると送り迎えし、彼女は小学校の頃から大会のために早退する生活で、学校に居場所をなくし、クラスで仲間はずれにされた。
特殊な能力と特別な待遇は集団生活で排除される。
母は彼女の居心地の悪さを理解せず、
やめたいという彼女を受け止めなかった。
エリート選手集団から脱落した高校時代、徐々に生活の軌道は狂い始める。恋愛にのめり込み、友人関係は崩壊し、高校を中退。通信教育で卒業資格をとり、専門学校に進学したが、
同じ頃にキャバクラで働き始めると、100万円を超える現金を手にし、さらに軌道を外れていく。
「朝から太陽を浴びない生活って、
人間をダメにするんですよね」
ふとした拍子に彼女はつぶやいた。
それは、できることならもう一度生活を立て直したいという気持ちの裏返しに思えた。
だが。とぎれとぎれに届くメッセージは、
いつも、煎じ詰めれば金の無心だった。
最後に連絡がきたとき、メッセージには「助けてほしい」とあった。やり直すチャンスがほしいと書かれていたが、新宿のカフェでの待ち合わせを提案すると、彼女は自分のいるところまで来てほしいと、新宿の隣町を指定した。
ざらりとした。
助けて、でも、私の言う通りにして、
と言われているような気がした。
会えば「お金がない」というのは目に見えている。
いっしょにごはんを食べ、いくばくかのお金を渡したとして、それを繰り返した先にあるものが見えない。そう私は思ってしまった。
東京都の女性支援窓口に連絡をしてみたところ、
一緒に考えましょう、という。そこで、彼女を誘い、待ち合わせをしたが、彼女は現れなかった。
そして連絡は途絶えた。
孤立出産がもとになった嬰児遺棄事件の裁判を傍聴していると、被告人尋問を受けている女性自身が幼い頃に大切にされていなかったことがわかる。
そして、彼女を大切にすることのできなかった母も父もまた、社会の「正しさ」に振り回されていたり、家族という社会の最小単位の中で弱い立場に押し込められていたりすることにも気づかされる。
陽だまりであるはずの家族の内側にある、
外から見えない歪み。
それは国の定めた法の歪みとつながっている。
誰もが平等だと定めたはずの法律は、平成から令和に移った今も男女の不平等を肯定し続けている。
あの彼女を支配した母もまた、
誰かに支配されていた人ではなかっただろうか。
母は大切にされる経験をして育った人だろうか。
そしてあの彼女も臨月まで妊娠が続いていたなら、孤立出産していたかもしれない。
彼女と母はもう交わることは不可能なのか。
もしそうだとして、
母に代わって彼女の心を満たす存在を、
彼女は見つけられるのか。
傷をさすりながら自分に似た人を探して街をさまよう彼女のような女の子たちは、この歪んだ社会から下敷きにされた人たちだ。
踏みつけているのは誰なのか。
変わるべきは誰か。
そして私たちがするべきことは。
彼女を思い出すたびに彼女と関係を紡ぐことのできなかった無力感と後悔がぐさりと刺す。
彼女から授けられた宿題はもう解けた。
あとは行動するだけだ。
私は行動しているだろうか。
三宅玲子 / みやけれいこ / Reiko Miyake
ノンフィクションライター。「ひとと世の中」を取材。近著に『本屋のない人生なんて』(光文社)、『真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園』(文藝春秋)。
KEN=写真 /photography by KEN
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