
“まるで少女たちは捨て猫のようだ。
見えているけど、見られていない存在。 “
2025.12/9 橘ジュン=取材・文 / interview & text by Jun Tachibana
舘ひろし=語り/voice by Hiroshi Tachi KEN=写真 /photography by KEN
※写真はイメージです。本文の内容とは関係ありません。 photo is an image. They are not related to the content of the text.
作曲家・岩代太郎氏が主宰する「オトブミ集〜絆」は、言葉を“音のかたち”で届けるオーディオプロジェクトだ。
テーマは「命の尊さ」「生きる素晴らしさ」「志の大切さ」。
政治や宗教に偏ることなく、さまざまな人々の言葉を、俳優や声優の朗読と音楽によって「オトブミ(音文)」として編み上げてきたプロジェクト。
「オトブミ集〜絆」は、心の道標、心の燃料、心の栄養となるコンテンツとして、「これから」を担う若者たちへ届けたいという願いのもとに生まれた。
その根底には、「国の未来を形づくるのは教育と文化である」という岩代氏の確信がある。
「自己責任」が強調される時代にあって、「むしろ『社会全体で児童や若者を育てる』価値観が国の未来を豊かにし、人材育成につながる」と、岩代氏はその思いを、言葉として明確に遺している。
本作で朗読を行ったのは、俳優の舘ひろし氏。
その声は、言葉に確かな重みと深みを与え、作品としての輪郭を立ち上げる。
2025年度の作品のひとつとしてここに掲載するのは、橘ジュンが寄せた詩。
岩代太郎氏の音楽と、舘ひろし氏の朗読によって編まれたその言葉をこの場に記しておきたい。
耳を傾けて聴いてほしい。
※本記事に掲載している詩は、「オトブミ集〜絆」主宰・岩代太郎氏の許可を得て掲載しています。
わたしが出会った少女の話です。
彼女が家を出たのは15歳。
親に家から追い出され、
二度と玄関を開けてもらえず、電話にも出てもらえなくなった。
15歳の彼女は行く宛もなく、頼る人もいなくなり、居場所も失った。
貯めていたお年玉がなくなっても、
15歳の女の子ではバイトすら見つけられない。
だから仕方なく、街で声をかけられたおじさんや、
SNSで知り合ったお兄さんたちと体の関係をもった。
いつの間にか本名で呼ばれることもなくなった。
男の家に泊めさせてもらったり、
出会ったばかりの男とラブホに泊まったりするようになった。
「こんなことまでして、生きる意味なんてあるのかな?」
って、自分でも呆れるほどの生活だったけれど、
どんなに疲れても安心して眠れる場所はない。
たとえ帰りたいって思っても、帰れる場所はない。
こんな生活はやめたいって思っても、
やめたら生きていけない。
だから何回も死にたくなった。
夜の街には居場所を失った境遇の少女たちが集まっているから、
互いの寂しい気持ちが少しだけ和らいでしまう。
それでも辛い時は、自分で自分を傷つけてしまう。
市販薬を大量に飲めば、一瞬だけでも記憶をなくせる。
やがて最初は10錠だった薬も、だんだんと効かなくなり、
いつの間にか70錠も飲むようになってしまう。
リストカットをする少女もいる。
だがリストカットの傷は、学校では目立つ。
すると周囲に悪い影響を与えたくない一心から、
学校の教師は非情にも
「教室には入るな!」と叱り飛ばす。
次第にリストカットの傷を隠さなくてもいい街の方が、
居心地良く感じるようになる。
ある日彼女は、街で小学生の女の子と出会った。
とても幼いので目立っていた女の子は、
夜の街が初めてだからか、怯えているように見えた。
だから「ここで何してるの?」って話しかけてみた。
小学生の女の子も親と喧嘩をして、
家出した後、トー横界隈と呼ばれるココを目指し、
ようやく辿り着いたらしい。
親と同じくらいの大人たちが、
「よう、なにしてるの?」「遊ぼうよ」 って話しかけてくる。
「小学生だよ」って答えるだけで、
「可愛いね」って優しく接してくれるから嬉しくなるんだって。
誰からも「おうちは?」とか「親は大丈夫?」って心配されることはなく、
「キミらしい生き方なんだね」って誉めてくれるから、
夜の街にもすぐ馴染めたそうだ。
少女たちがSNSにハッシュタグをつけて投稿すれば、
すぐに興味のある人と繋がる。
ハッシュタグ、サポ。
ハッシュタグ、トー横界隈。
ハッシュタグ、パパ活募集。
10代で家出をし、
街で5年以上も過ごしている少女もいた。
そんな少女たちは皆、
「大人に期待なんかしちゃダメだよ」と口をそろえる。
少女たちが一番しんどかった時は、
コロナに感染したかもしれない症状が出ても、
身分証がないから病院にも行けなかった時だったらしい。
まるで少女たちは捨て猫のようだ。
見えているけど、見られていない存在。
きっと人には、
「見えるもの」と「見えないもの」があるのではなく、
「見たいもの」と「見たくないもの」があるだけなのかもしれない。
15歳の彼女が本音を話してくれた。
本当は家に帰りたい。
でも、怒鳴って叩きながら泣き叫ぶお母さんや、
お母さんを殴り蹴るお父さんの姿なんか見たくない。
ただ普通に愛されたかっただけ。
朝起きたら、「おはよう」って挨拶を交わし、
食卓に並んだ朝ご飯を家族みんなで食べる。
家を出かける時には
「いってらっしゃい」って声が聴こえる。
家に帰ったら、
「おかえり」って微笑みながら出迎えてもらえる。
誕生日には「おめでとう」って家族に祝ってもらえる。
そんな普通の家に憧れているだけ。
それが彼女の本音だった。
鬼がいない「かくれんぼ」に終わりはない。
でも鬼がいないから永遠に見つけてもらえず、
ずっと深い穴に堕ちたまま隠れている少女たち。
今日もどこかで、
「わたしを見つけて」と心の中で呟いている少女たちがいる。
わたしは、そんな彼女たちを見つけてあげたい。
「わたしを見つけて」
「わたしが見つける」
取材・文 = 橘 ジュン/ Jun Tachibana
ルポライター。18歳の頃からアウトロー的な生き方をする少女たちの取材を行う。街中で出会った女の子たちのリアルな声を聞いて伝え、現在も10代20代の生きづらさを抱える女の子たちを支えるために活動を続けている。
NPO法人BONDプロジェクト代表。
※写真はイメージです。本文の内容とは関係ありません。 photo is an image. They are not related to the content of the text.







































































