
“生きていくって
なんでこんなにたいへんなんだろう”
2025.6/1 植田恵子=取材・文 / interview & text by keiko ueda
KEN=写真 /photography by KEN
※写真はイメージです。本文の内容とは関係ありません。 photo is an image. They are not related to the content of the text.
親としてる時 みんなの顔が浮かぶ
助けてよって思うけど
その助けてってなんなんだろうね
助けてってなんだろうね
選んでいるのは私なのに
悲しいね
みんなの顔が浮かぶのも
みんなの笑った顔がずっと浮かんでくるよ
笑顔なのにね かなしいね
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「選んでるんじゃなくて選択肢を持てていない、選ばせられているから助けてなんじゃないかな」
「みんなの顔が浮かぶのは、自分で自分を諦めてしまわないための心の置き所でもあるように感じるよ心までは支配されないために」
LINEの返信を打ちながら、父親にその行為をされている最中に、bondで出会った気持ちが近しくなったひとりひとりの顔を浮かべながら耐えている彼女の心を思いキュッとなる。
耐える、というよりもしかして、気持ちを遮断してその時間が過ぎるのを待つような、感情をながしていくような感じだろうか。
はやくに母を亡くした彼女は、父親から性虐待をうけて育った。
それは大人になったいまも、続いている。
大人だったら断れるのではないか、逃げられるのではないか、と、人は思う。
でも彼女にとって父親の要求を断ることは難しい。
14歳、出会った頃それは
「親を悪者にしたくない」「人に知られるくらいなら死んだほうがいい」という言葉で表現された。
苦しさや死にたさを吐露しながら、家から逃げてほしくてこちらが距離をつめようとすると、とたんに離れ心を閉ざした。苗字も学校名も口にしようとしなかった。
連絡が途絶えたり再開したりを繰り返し、久々に会った時には彼女は20代になっていて、出会った人とのあいだに子どもをもうけ、シングルマザーになっていた。
「今も実家に住んでいる。でも仕事の都合で父親が帰ってこなくなったから、そういうのはもうない」と彼女は言った。
働きながら子育てをして、
「全部なかったことにして社会に馴染もうとしている」という。
私は、過去の記憶に苦しめられながらも必死に生きようとする彼女について、記事を書いた。その3週間後、「親に会いにいった」とLINEが入った。
子供育ててて
本当に自分の子供に自分がされたことするの考えられなくて
なんで私にそんなことしたんだろうってすごい聞きたくて
私はもう昔の自分とは違うと思っていたから
ただなんでってことを聞きたかったんだよ
ただそれだけ聞きたかっただけなんだよね
でもなにもできなかったし聞けなかったよ
何も変わっていなくて
私も何も変わっていなくて
何をしに行ったのかもわからないし
あうべきでももちろんなかった
なんでわざわざ会いに行ったのかもわからないよね
本当に生きるってとても大変なことだよ
気持ち悪いって言っていいよ
言われた言葉やされたこと全てが
四六時中いまされているように感じて
もうなんで私は生きているんだろう
親に
やっぱり忘れられないんだね
自分で離れていっても
と言われて
そうだよなあって
なんか納得してしまったよ
自分の苦しさの根っこを見つめ直したいと親に会いに行った娘の気持ちを、性と混同して語る父親の言葉。普段の彼女であれば、その言葉のおかしさに簡単に気づくだろうけれど、大人になったはずの彼女の心の中にはたぶん、幼い頃の、親を親として慕う子どもが住んでいる。
彼女の内にいる子どもは父の前で無力になり、その言葉に飲み込まれてしまう。