“ちゃんと助けを求めたこともあったよ。
でもね、大人は誰も私の手を握ってくれなかった。“
2023.11/1 こんぺいとう=取材・文 / interview & text by konpeito
KEN=写真 /photography by KEN
※写真はイメージです。本文の内容とは関係ありません。 photo is an image. They are not related to the content of the text.
“生きている痛みに耐えられない。痛みを感じない「改造人間」になりたい。”
病院のベッドに横たわりながら、そんなことを考えてた。
私の心が限界に達して、入院した頃だった。手術をしてくれる「闇医者」が、どっかにいないのかなって。
小さい頃から、家の中では父親の足音におびえてた。
自分のいる部屋に一歩一歩、近づいてくるその音に。
“子どもは親の奴隷だ”
父親はそんな考えの人。
シャワーみたいに暴言を浴びせてきた。
存在を否定する言葉をずっーーと。本当にイヤになる。
暴力もあった。
投げ飛ばされて足首をねんざして病院で診てもらった時、プロレスごっこをしたってお医者さんにウソついたっけ。
蹴られることも多かった。
でも、父親が蹴って自分の足の指を骨折してからは包丁を取り出すようになった。
「早く死ね」「殺してやる」って向かってくるの。
普段の父親は優しいんだけど、怒ったらそうなっちゃう。家にいても、私の心臓はドクドクって動悸がするようになった。
それだけ自分の家は、安心して過ごせる場所ではなかったんだよね。
この前、中学生の時に書いた自分のノートを見返したらこんな風に書いてあった。
“理解してくれる人は誰もいない。何故ここに生まれてきたのですか?”
私の苦しさ、孤独感に誰も気づいてくれないって思ってた。
ずっと死のうと思ってたから私が死んでも誰も泣くなよって。そんなこともノートに書いてあった。
家から逃げ出したこともある。
雪が降っていた。リュック一つを背負って何キロも歩いた。電車で何駅分もある距離を。
お気に入りの人形を抱っこして、リュックの中には、包丁を一本入れて。
私が持ってれば、父親から包丁を遠ざけられるから。
私の精神は少しずつ、壊れていった。
殺されるのがいいのか。
自死がいいのか。
それとも父親を殺して私が刑務所に入るのがいい?
ずっと、考えてた。
ちゃんと助けを求めたこともあったよ。
でもね、大人は誰も私の手を握ってくれなかった。
中学生の頃、家のことをメール相談の窓口に送ったことがあった。
相談先から連絡がいったんだろうね。学校の先生が「本当なの?」って聞いてきた。涙を流しながら。
先生を悲しませたくないとか、困らせたくないとかって思ったんだよね。
「メールに書いたのは全部ウソです」って言っちゃった。
高校生の頃には自分で調べた児童相談所の連絡先に電話したこともあったけど、「あなたの地域はうちの担当じゃない」って切られて終わった。
もう助けを求めるのは、あきらめちゃった。
子どもの頃から死にたい。でも死ねない。この繰り返しだった。
20歳になるまでに私は心の健康を失った。得たものがあるとしたら、自己肯定感の低さかな。
「そんなことない。人に優しくて、自分の頭で考えられるチカラもあるじゃん」
そう言ってくれる人もいるんだけど、やっぱり自分に自信はまだ持てない。
今は、親から離れて一人で暮らしてる。
働きながら自分の部屋の掃除もして、ご飯もつくるのは正直、大変。
自分の家はあるけど、つらいことがあった時に「帰りたい」って思える場所じゃないんだよね。
親とは連絡を取ってるけど、やっぱり見捨てられないっていう思いがあって。今も会うことはある。
ぬくもりのある家族がほしい。帰りたいって思える家がほしい。
いつか、私にもぬくもりを感じられる「家族」や、帰りたいって思える「家」ってできるのかな?
私って、誰かの心の片隅にいるのかな?